生長の家岡山県教化部
生長の家の教えとは 沿革 環境への取り組み 吉備だより
組織だより 吉備連成会だより 今週の智慧の言葉 教化部・各道場のご案内 リンク
 
3ヶ月前 | 2ヶ月前 | 1ヶ月前 |
 
無我無心に与える徳行(とくこう)の実践を
教化部長
合掌、ありがとうございます。
 岡山教区に赴任いたしまして半年が過ぎようとしています。まさにあっという間に時が流れ、過ぎ去ってまいりましたが、私の心の中には日ごと広がる幸せの思いとともに、この岡山の地で、素晴らしい方々との出会いの数々がつぎつぎと刻み込まれています。
 岡山でお会いする皆さまは、どなたも明るく爽やかで、謙虚で礼儀正しく、そして愛深く、なにより献身的な信仰姿勢を拝し、いつもたくさんのことを学ばせていただいており、岡山に赴任させていただいて本当によかったと感謝いたしております。

 さて、私たちは、健康で豊でありたいと誰もが思うのですが、どうしたらそうなれるのかわからないという人が世の中にはとても多いのではないでしょうか。
 幸い私たちは、生長の家で「人間 神の子」の真理を学び、さらに、この世の中には色々の法則があって、その法則の通りに凡てのことが現れるのであるから、まず法則を知り、良き方向へと実行することが大切であると教えられております。その法則の中でも、「与える者は、与えられる」という法則があり、私たちが「与える」心を起こして、人や環境に深切をし、豊かな心になっていると、こんどは多くの人々から深切にされたり、色々なものを与えられたりして、かえって豊かに「与えかえされる」ことになるのであります。
 そこで「「与える」時と「受ける」時との心得」について谷口雅春先生は、次ぎのように御教示くださっています。

 「与えよ、さらば与えられん」である。しかし与えられる原因を造るためだと思って与えてはそれは商売であり、取引であって徳行(とくこう)ではないのである。無我無心に与えるのであってこそ徳行であるのであり、その徳行の結果、自然に「与えられる」ようになるのは、自然随伴の功徳であって、最初からその「与えられる」ことを予想してはならないのである。予想した物を与えられるならば、それは当然のことであって、「有りがたい」ことではないのである。予想しないのに与えられ、あり得る筈がないと思うような功徳が与えられるので、これは全く有り難いことであると云う意味で「有りがたい」と云うのである。すべて受けるものは当然のことと思わず、「有り得ない功徳」を受けると思って「ありがとうございます」と感謝すべきである。また受けるとき不当に遠慮して相手の好意を殺してはならない。                
    谷口雅春先生著 新版『真理』第9巻114頁より

 私たちは神から多くの賜(肉体、空気、日光、水、衣食住・・・)を与えられておりますが、それら目の前にある当たり前と思えるような1つ1つにどれだけ感謝して生活しているでしょうか。それらはすべて神からの授かり物であり、恵みであるわけです。それに対して与え返す、つまり恩返しすることがなければ、それだけ自分は借り越しの生活、マイナスの人生を送っていることになるのです。借り越しの多い生活からは本当の自由は得られず、その借り越しを幾分かでもお返しすることが「感謝」するということであります。ですから、今受けている天地一切の人・物・事や自然に対し感謝する生活と、無我無心に与える徳行の実践こそが私たちが「自由を得る道」であり、「幸福を開く鍵」であるということであります。
 岡山教区の皆様、今年は7月上旬に襲った西日本豪雨災害への復興支援や、さまざまな支援活動等、それぞれの立場の中で献身的にご挺身いただきましたことに感謝申し上げますとともに、人類光明化運動・国際平和信仰運動を通し、岡山教区の教勢発展にご尽力いただきましたこと、重ねて感謝御礼申し上げます。
 皆様にとって来年もまた神意に導かれ、実りある幸多き素晴らしい1年となりますよう、心からお祈り申し上げます。
                       頓首再拝
 
 
宗教法人 生長の家 岡山県教化部  copyright2005 SEICHO-NO-IE All rights reserved.